2011年11月27日日曜日

集団とネットワーク

 いつもは、ちょうどいい具合に、一週間おきに、バンド関係と自転車関係の集まりが交互にあるのですが、今週はたまたま土曜と日曜に続いてしまったので、昨日から今日にかけてあまりに綱渡り的なスケジュールで動き、ようやく一息。

 社会学では集団とネットワークについて豊富な蓄積があるので、ちゃんと調べずに あまりいい加減なことはいえないのですが、前回と今回のアデレード滞在で感じる、あまり日本で体験してこなかった、こちらでの人の繋がり方について書いてみます(アメリカでも似たような感じでしたが・・)。

 昨日もそうだったのですが、何かの集まりに呼んでもらうと、一言で表現できない集まりになることが多いような気がします。日本だと職場の同僚、高校時代の友達、小学校時代の友達、サークル、ゼミなど、何か一言「集団」の名前で表現できるのに、こちらでの集まりで「みんなどういうつながり?」と聞いても、誰とだれはどうつながって、と一組ずつの説明になるわけです。集団ではなくネットワークと表現したほうがすっきりする関係です。経験上から考えられる原因は、次のようなところでしょうか。

・ホームパーティーが多いこと
(いちいちグループに分けていたら切りがない・・。)
・一般的に言われるカップル単位で動くことだけでなく、大人になってからも兄弟や親子のつながりが強いこと。(兄弟それぞれが友達を連れてくる、友達同士がパートナーを連れてくるなど・・)
・知り合い同士が近くにいたら紹介することが、行動としてパターン化されていること。

 昨日は、バンドメンバーの高校時代からの知り合いであるThe Swissというバンドのライブがあるというので、いったん一人の家で夕食会をしてから、みんなでライブ会場へ。すでに家で初めて会うカップル2組を紹介してもらっていましたが、ほぼオールスタンディング形式の会場についてからも、何人を紹介してもらったか。その時紹介してもらった人がまた別の人を紹介してくれて、とても覚えられない。アジア系のオーストラリア人たちとも結構繋がりました。

 こうした経験から、日本でも何かの集まりを企画するときは、なるべく幅広く声をかけるようにしていますが、どうしても、もともとの知り合い同士だけの方が、幹事としても気楽なので、そちらに流れてしまうんですけどね・・。

とてもよかったライブの中身と作法については次回のエントリーで。

(【11月28日念のため追記】あくまでも自分が接している人たちからの経験なので、オーストラリアでも日本でも、もっといろいろなつながり方があるだろうと思います。「日本人は」と決めつける議論には懐疑的なほうなのですが、それでも経験上強く違いを感じることもある。ちょうど今日届いたメルボルン在住の社会学者Yoshio Sugimoto An Introduction to Japanese Society Third Edition (Cambridge University Press, 2010)に、社会内の多様性への注目と、社会間の多様性への注目へのジレンマが書かれていました。杉本先生の議論には、日本人論に距離を置くという点でだいぶ影響を受けています。)

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